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インターネットから見える社会矛盾と人権
〜 インターネットから見える社会矛盾と人権 〜 (第17部)

〜事件を通してインターネットで表現された女性問題の根幹〜

 某大学の男子学生複数が一人の女学生を集団で強姦したとされる事件が大きく報道されました。教職を目指す者が公衆の場で、そのような行為に至ったということが大きく取り上げられ、各方面で抗議が殺到しました。

 現在は6月後半に被害女性の示談によって告訴取り下げになっています。加害者を非難する者は「犯行を認めて示談になったことで、加害者は野放し状態」「お金で解決した」「女性はつらかった」「加害者の犯歴は残る」といった意見です。
各方面で抗議の声が上がっています。集団準強姦として無期停学処分になっている子どもの件を知りながら、某市教委に勤務する本件加害学生の保護者が、学童保育の指導員として、面接を担当し採用していたとインターネットなどで公開され、抗議が殺到しました。

 また、集団でレイプをしている最中に他者が部屋に入らないよう見張り役をしていたとされる学生の一人が、某県の公立学校に勤務していることもインターネット上で公開され、関係者や関係組織への抗議が殺到する事態となりました。

 こういった抗議をする声が、問題が発生した大学だけではなく、関係者の身内などにも殺到した原因に、インターネットが大きな役割を果たしています。マスコミでは公開されない細かな情報を、加害者や被害者の友人・知人がそれぞれの立場にたって、個人情報の公開がはじまり、大型サイトでの大きな騒ぎと抗議につながっていきました。

 彼らは事情聴取のなかでこう答えています。「同意の上だった」。強姦や痴漢などが事件となると加害者とされる側から、こういった意見が主張されます。本当に同意の上であるなら、被害者が警察などに被害届を出すなどをして事件にはなり得ないわけです。加害者側の都合のよいように被害にあわれた方々が言葉や態度を解釈した可能性が高いように思います。

 今回の事件について取り上げたいのは、私は警察などではないので事件の概要等について明確な事実を知らないので、その件ではなく、インターネット上で痴漢やセクハラ、レイプなどの被害者に対する責任論的考えが強調されていることにあります。今回の件に関しても「やはり女性は嘘をついた」「刑務所行かず、非難やプライバシー暴露はかわいそう」という加害者擁護論が目立ちました。

 某大型サイトでは「そこに山があるから登る。そこに酔いつぶれた女の子がいるから襲う」などの書き込みが、大学生から行われていたことも発覚しています。こういった被害者にも責任があるといった中傷などを「セカンドレイプ」と言います。これだけではなく、法廷や取り調べで被害者がフラッシュバックを起こしたり、証言・陳述の内容がレイプや性的被害の再現であったりする場合の被害者の精神的苦痛についても「セカンドレイプ」とされています。

 被害女性への書き込みは「彼女自身にもすきがあった」「そんな場にいくから悪い」「どうせ誘ったんだろ」などの書き込みも多々見られ、セカンドレイプ以上のサードレイプではないかと思われるものが横行しています。

 被害者に対して、その責任を負わせる考え方は未だに存在しています。
 1.被害者は敏感に反応しすぎる
 2.被害者にもすきがあり、露出の多い服装をしているからだ
 3.女性の「いや」「やめて」は拒否ではない
 4.被害者が訴える理由の多くは賠償金目当てか、報復である
 5.男性の暴走する性は仕方がない
 6.嫌ならもっと強く、最後まで拒否すればいい
 7.女性にもその気があった。同意の上である。合意だった
 8.本当に嫌だったら最後まで抵抗するはずである

 以上のような意見はセクハラ、レイプだけではなく、ひったくり被害者などにも影響を及ぼしています。事件の加害者と被害者における関係性のなかでは、被害者は強く拒否をしたい思いをもっていたとしても、その関係性次第では拒否できず、黙って耐えるといったこともあります。

 現在はようやく被害者が性的被害に対して、「自分は被害者である」と社会に主張できるようになりはじめたばかりです。なりはじめであるため、実際に被害に遭われている方々が泣き寝入り状態にあることは言うまでもありません。泣き寝入りにならなければならない原因に、上記のような加害者責任論が存在していることも事実であります。
 今回の事件に関するインターネット上や社会での被害者責任論の声は、これまでの被害者や、これからの被害者が声を上げられない雰囲気を改めてつくりあげてしまった気がします。
 インターネット上に書き込まれる被害者責任論を見ていても、あまりに第3者的で被害に遭遇した経験のない身勝手なものが目立ち、本件を通しても「自分自身」というフィルターを通して事件を見ているように思えます。例え、痴漢やセクハラの被害を受けた経験があるとしても、拒否できる人、駅員に加害者を突き出すことのできる人とできない人がいることをしっかり見すえたなかでの意見を発していけば、もう少しインターネット上でのさまざまな議論も無責任なものとはなっていなかったようにも思えます。

 男女共同参画社会の実現に向け、女性の登用や地方議会の男女比の問題、家事・育児における女性への負担などについての取り組みはもちろん重要ですが、女性の人権を考えていく上で、被害者責任論を是正していくための取り組みも求められています。

 今回の事件だけに限りませんが、長年続いてきた女性問題に対する意識はまだまだ是正されていないこと、本質や根幹に関わる意識の是正が必要であることがインターネットを通じて大きく表現されたという問題を含んでいるものであると強く感じます。

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