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インターネットから見える社会矛盾と人権
〜 インターネットから見える社会矛盾と人権 〜 (第18部)

 子どもたちのケータイ電話サイトの利用状況も、その時々の流行があり、私がこれまでモニターしてきた電子掲示板は、アクセス数が激減し、ほとんど運営されていないものが出てくるなど、毎年把握できていた悪質な書き込みも私が見てきた掲示板上では減少傾向にあります。当然ながら、まだまだ問題ある書き込みが続く掲示板も存在し、何よりも高等学校や大学を卒業したであろう20代や30代の書き込みではないかと思われるものが目立ち、義務教育や高校などで「人を傷つけられる心の状態」を是正できなかったことが課題となり、社会へ出た青年たちが、小学生・中学生・高校生と同じような書き込みをしていまっている現状に、社会教育・啓発のあり方を考えさせられ、また、学校教育、もっと言えば「就学前」からの取り組みが求められていると考えています。

 ここ数年、私が見ている状況では、県内の中学生・高校生の特に女子生徒が、無料HP作成ツールから、一人、二人、三人、四人などの少人数でホームページを立ち上げ、プロフィール、ブログ、写メ、掲示板などの機能をひとまとめにしたものを運営することが目立ってきています。

 プロフィールはこれまで言われてきているものと同様に、名前、住所、出身保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校を掲載し、趣味や好きな物・嫌いな物、資格や免許などなど、実名や住所をそのまま入れるような場合もあれば、非常に簡潔に紹介しているものもあります。

 ブログでは、これまでの日記のように、日々の出来事を綴っていますが、それが他者にも見られるものとして公開されています。学校のこと、教師のこと、生徒のこと、家族のこと、友人関係のことなど、日々、更新されているものもあります。

 写真では、ゲームセンターなどにある「プリントクラブ」で撮影した画像や携帯電話のカメラ機能で撮影したものを公開しています。

 これまで私が体験してきたものは、たくさんの利用者が集まる掲示板などに、現在のブログのようなものから、質問・疑問・意見などを書き込んだりする傾向にありましたが、最近では、極めて少人数という限られた人と日々の出来事などを共有するようになってきているように思います。

 私自身、プライベートの時間を使い、長期間かけて少しずつホームページの発見に努めてきました。現在は県内の中高生が運営するホームページを1,500ほどデータベース化してあります。中身はほとんど見る時間もなく、とりあえずは県内の子どもたちのものであることをプロフィールなどで確認し、地域別や学校別にふりわけているという状況です。

 彼ら彼女たちは、ほとんど面識のない第3者にも見られているという感覚は低いようです。講演で学校に呼ばれたとき、事前にその学校の生徒が運営しているホームページを調べ、そのことを名前などを伏せながら話をすると、生徒たちの表情や態度に見事にあらわれてきます。実例などを通じて、実際に他人からも見られているという自覚に乏しく、学校などでは情報モラルと題して授業などが行われていますが、自分たちが運営しているサイトを初対面の人間も知っているということへの衝撃は大きいようです。私自身も違和感をもつのですが、はじめていく学校の生徒を事前にインターネットで写真などを通じて知れてしまうということに、インターネットの素晴らしさとともに、危険視すべき部分が改めて実感できます。

 また、私の近隣に住む高校生や親類の子どももそうですが、「写真などを容易に公開しないほうがいい。悪用されている事例を県警さんなどから聞かされているから、最低でもパスワードを写真にはかけたほうがよい」というのですが、「わかってる」と言って、いっこうにパスワードをかけません。彼女たちは、「危ない」と自覚はしているものの「自分は大丈夫」と、どこか心のなかで感じているようです。そんな子どもたちに執拗にパスワードの設定をせまっても、簡単に効果のでるものではないということがわかってきます。

 逆に、パスワードをかけられたサイトのなかでは、いったいどのような書き込みをブログや掲示板に書いているのかが第3者からは発見できないという側面もあります。  私にいただく相談のなかには、ブログ上でAちゃん、Bちゃんに対する誹謗中傷が書かれていたものもいくつかあり、相談をもらったサイトは基本的に第3者も閲覧可能となっていたことで、問題が発覚してきたわけですが、パスワードをかけられていれば、そうはいきません。

 時代の流れに必死でついていこうとしていますが、もうすぐ30を迎える私にとって、小学生や中学生のはやりにそのまま乗り切ることもできず、子どもたちはどんどん新たな時代を生き、インターネットを使い、生活をしていくことのジェネレーションギャップが、とても不安に思えるときもあります。  新しい機能やサービスを通じて、問題が発生し、それに対して大人が対応していかなければならないのですが、その機能やサービスの意図や意味そのものがわからないという状態を見ているなかで、私はやはり、どのようなサービスが出てきたとしても、それを有効活用できるような、自分の将来やこれからの生活に役立つ利用を、携帯電話やインターネットでできる子どもたちを育んでいくことが、もぐらたたきを防ぐ一つの改善策であると考えています。

 私が主体となって取り組んでいる活動で、ある講師さんが大事にしている子どもたちへの取り組みがあります。自尊感情を育んでいくことの大切さを子どもたちに身につけてもらうために、次のようなお話をされていました。その一部を紹介します。

 子どもたちは、「ほめられたいときに」「ほめられたい人から」「ほめてもらいたいこと」と望んでいます。それは非常に、きめ細やかに取り組む必要があります。保育園や幼稚園では、園であったことを保育士が「今日は○○ちゃんが、こんなことがんばったから、家族の人にそこをほめてもらおう」と家庭訪問にいく。それは、小学校・中学校でも同じです。家庭訪問はむやみやたらに行けばいいというものではなく、もっと教育的意味をもって取り組まれていく必要があります。

家庭・学校・地域の連帯と言葉では簡単に述べることはできますが、具体的なものとして、こういった子どもたちのあらゆる意欲を向上させ、「自分はたくさんの大人に大切にされている」、「がんばれば認めてもらえる・ほめてもらえる」という体験の積み重ねが、自分を大切にできる子どもを育むことになり、どのような状況下でも、してはいけないことを自分のために貫ける、そんな教育のあり方が求められていると思います。

保護者や教師、地域の大人は、子どもへの「教育」と「鏡育」を。保護者・学校・地域が連帯することによる、子どもへの「教育」や「協育」、「共育」を。現在のような規範意識・生活習慣・コミュニケーションなどが崩壊しそうな厳しい時代のなかでこそ構築していけるよう、誰かが働きかけていかなければなりません。

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