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インターネットから見える社会矛盾と人権
〜 インターネットから見える社会矛盾と人権 〜 (第17部)

 インターネット上で生じるさまざまな問題について、子どもたちに焦点をあて社会を眺めてみたとき、まず何が変わってきたのかというところを見つめてみる必要があるかと思います。

 社会の情勢はめまぐるしく変化しています。
 まず科学技術が進歩していくことで、経済が発展してきました。それにともない、「国際化」や「情報化」へと急速に社会が進展しています。これらは、核家族化や少子高齢化というこれまでの家族のあり方を大きく変化させてきました。
 家族のあり方が変わってくると、当然ながら子どもたちに対して大きな影響をもたらします。ある冊子では「子どもの体験の質や量が変化してきた」とも記されています。
 そのことにより、生活習慣やコミュニケーションの形態に劇的な変化をもたらしています。

 この社会の変容に着目したとき、例えば、昔に比べると圧倒的に物が豊かな時代になっています。私の幼少時代には、家にテレビは一台しかありませんでした。それも、リモコン式ではなく、ダイヤル式です。今では一人に一台、テレビがあります。すると、テレビの台数の増加にともない、家庭内で家族と接する時間が減少していきました。

 昔であれば、リビングに一台しかなかったので、夕食時のみに限らず、夕方、保育園や学校から帰ってくると見たいテレビ番組をリビングで見るわけです。そこには自然に家族が集まります。保護者はドラマや邦画・洋画、相撲、野球、時代劇。私はアニメや戦隊ものであったように記憶しています。夕食前、夕食時、そして夕食後も、テレビはそこにしかありませんので、家族が集うわけです。
するとこれも自然発生的に会話が生まれます。「今日、学校どうやった?」という私に対する学校の様子の質問にはじまり、父や母を慕い、家にくる人との会話では、仕事の話しなどを通して、大人のコミュニケーションのはかり方、会話している双方の表情、しぐさ、態度などを私は無意識に覚えていったように思います。「あ、こんなふうに会話するんだ」ではなくて、テレビのリモコンの使い方、冷蔵庫の開け方、蛇口のひねり方、タンスの開け方などは、「こうするんだよ」とは意識づけられず、大人の動作や使用方法を見て覚えていったわけです。

 また、今の時代、物が極めて豊かになってきています。そのことで家族のなかでも会話が減っているところが増えているのではないでしょうか。昔のように一家に一台ではなく、一人に一台の時代になっていることで、「ただいま」と帰っても、すぐに部屋に直行し、見たいテレビ番組を見て、「ご飯ができた」と家族に言われると、食事をする部屋に行く。食事時間は人によって異なりますが、私の場合は平均20分程度です。食べ終わると、すぐに自分の部屋に戻ります。家族と会話する時間は夕食時の20分程度と朝食時の10分程度の一日30分程度になってきました。
 私の年齢くらいになると通常はそんなに気になるものではありませんが、今では小学生から、こういった家庭内での現象が起きています。

 ましてや、テレビに限らず、ビデオ、DVD。他には、パソコン、携帯電話、ゲーム機(PS3、PSP、ニンテンドウDS、WII、XBOX等)など、子どもたちが部屋という狭い空間で、一人で一日過ごすことができることが可能になっています。物の豊かさに伴い、遊び道具が数多く用意されているので、深夜でもパソコンや携帯電話でネットに接続している例も多くあります。このことも生活習慣の変化をもたらしてきているように思います。

さらに、すべてではありませんが、人との交流を積極的にもとうとしない人も若い世代に増えているように思います。「田舎の付き合いは大変だ」ということで、子どもの保護者が親と離れて住むことを選択し、マンションや新興住宅地に移り住むことが増えています。
移り住んだ目的が「周辺住民との関係をあまり持ちたくない」ということでありますので、近隣の方々とは積極的につながろうとせず、子どもはコミュニケーションを覚える手段が限定されていきます。
ある臨床心理士の方は、こういわれます。「家庭内では『教育』と『鏡育』がある」。保護者が意識的に子どもたちに「これは、こうだ。あれは、こういうことだ」と教える「教育」と、大人の背中を見て子どもが育つ大人にとっては無意識の「鏡育」があるということです。このことで、他者と関係をもとうとしない保護者の背中を見て子どもが育っていきます。それに合わせて物の豊かさ、核家族化が追い打ちをかけるかのように、子どものコミュニケーション能力を低下させているように思います。

 物が豊かになること、核家族化が進展すること、保護者が新興住宅地やマンションに住むことは当然ながら悪いことでもなく、問題であるとも言えません。しかし、子ども自身のコミュニケーション不足をもたらしている事実を見すえ、その変容に伴う、新たなコミュニケーションの育成が必要になっていると思います。

 めまぐるしく進展する社会の動向に、大人がついていけていません。また、その時代の流れに、子どもへの教育や鏡育が今の時代にそぐわなくなっている側面もあるように思います。物の豊かさが増加するのに対し、コミュニケーションの機会が低下するという反比例をもたらしています。

 一家庭においても経済不況の波が訪れ、家庭内におけるコミュニケーションにも危機的状況にあるなかでは、地域の力が必要不可欠です。地域の方々で地域の子どもを育てようとする取り組みが、近年、よく聞かれる「まちづくり」であり、それが重要視される必要があります。子ども同士がコミュニケーションを図れる学校という「計画経済」だけではなく、放課後・休日の「自由経済」における子どもの体験の質と量が大きな影響をもたらすことから、地元で定年を迎えた方々に、ボランティア活動などに取り組んでもらえるようになっていけば理想的だと思います。「僕は家族だけじゃなくて、地域のおっちゃん、おばちゃんにも大事にされている」とか、ボランティア活動によって学年を飛び越えた交流が「地元のお兄ちゃん、お姉ちゃんにも大事にされている」ということが自尊感情を高めることにもなり、子ども同士のコミュニケーションを図れることもでき、また地域の人々にとっては子どもが活き活きと、自分たちが用意した憩いの場で遊んだりしてくれることが「生きがい」となっていく、そんな学校・家庭・地域における「共育」や「協育」が必要とされているように思います。

ネット上で生じる問題への対応が急がれていますが、現実としてそんな自分を粗末にする行為を選択する子どもが地域から育たないように、1つ1つ丁寧に個々の子どもの自尊感情を高める大人(保護者、教師、地域の方、行政)の関わりがもっとも大きな効果をもたらすように、私は思います。

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