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インターネットから見える社会矛盾と人権
〜 子どもたちが利用するインターネットから見えてきたもの 〜(第3部)

 具体的な解決方法はない。さまざまな方面での取り組みが成果と課題を生むと考えている。私の今の思いとしては、いじめ問題に関しては、人と人との関係性をいかに豊かにしていくか、そして個々が自身の存在の尊さをしっかりと認識できるかであると感じている。

 ここでは今後必要なこととして掲載する。
 【1】おとなが子どもたちを巻き込むネット上のマイナス情報やおとなの知らないところでなされているネット上での子どもの話題などをモニターすることによって把握し、取り組みを実施するための第一歩とする。

 【2】県内だけに限らず、全国的にもインターネット上のマイナス情報が子どもたちの健全育成を阻害していることを認識できていないおとなは多い。さまざまな機関が市民にこういった実態が身近にあるということを知らせていくことが必要である。

 【3】【2】取り組みによって、子どもたちがマイナス情報にさらされてしまう状況の未然防止にもつながる。子どもに「こんな問題があるから気をつけろ」「こういうものを見てはいけないんだ」と意識づけることで、子どもたちはマイナス情報に対して違和感、嫌悪感を持つことができ、また場合によっては子どもたちがインターネットでマイナス情報を発見した場合、おとなに相談できることにつながり、少しずつでもマイナス情報をなくすための取り組みができる。しかし、これについてはおとながしっかりと学ぶことや常に子どもを巻き込む問題には今の時代、どのようなものがあるのかについて、常にアンテナをはっておく必要がある。そして知ったことをおとな同士が共有できる場も必要となってくる。互いが知ったことを互いに共有し合うことで、何よりも「我が子を守る」ことにつながる。人権問題の事例をあげたように、未然に問題を防ぐために人権教育が大切なのであり、他の問題についても、正しく知っている人間が教えていくことで未然に防げることはたくさんある。いかにして、ネット上に悪質な書き込みが書かれないように、現実での教育実践が最重要課題であると考えている。

 【4】法規制や条例整備は早くから言われてきている。しかし、こればかり主張していても整備されるまでの間、多くの子どもたちがマイナス情報に巻き込まれていく。しっかりと個々が向き合いながら、条例整備等を組織的に主張していく必要がある。

その一方で個人がこればかりを主張することは、自身の取り組みの怠慢につながっていることが、私が見てきた限り多い。

 飲酒運転の罰則規定は、「3年以下の懲役または50万円の罰金」から、「5年以下の懲役または100万円以下の罰金」となり、飲酒運転をする人は極端に減った。こうなるまでの間、公務員をはじめ、たくさんの人々が飲酒運転で捕まったことをマスコミは取り上げた。社会には「マスコミで取り上げられるわ、100万円とられるは、ごめんだ」となって、飲酒運転をやめた人もいるだろう。本当に禁止しなければならない問題は徹底的に遵守できるよう厳しい罰則を設ける必要があることが証明されたが、法定速度については罰則が中途半端に思える。一般道で制限速度が時速40キロメートル毎時のところでも、時速50キロや60キロで走っている人のほうが圧倒的に多い。
 明確に禁止するのであれば明確で極めて厳しい罰則が求められる。
 法律ではないが、ある企業でセクハラを予防するために、社長が訓辞を立てたところで社員の意識は変わらない。しかし、評価制度や人事評価のしくみの中に遵守することでプラスになること、問題を起こしたときに大きな不利益が被ることをシステム化すれば大きく変わるのと同様である。

 【5】子どもたちが相談できるシステムも必要である。多くの子どもたちは泣き寝入り状態にあることが多く、保護者や学校などとの信頼関係などの度合いによっては、相談している生徒は極端に少ない。県内ではNPOが子どもたちの声を聞くことに重点をおいた電話を受けているが、ここは聞くことを重点とした取り組みであり、日常で自分自身のありのままを出せなかったり、自己主張できなかったり、不安や悩みを聞いてほしいと感じている子どもたちが、おとなたちに聞いてもらうことを中心としているため、アドバイスはできない。
 この機関の取り組みは本当に素晴らしい。しかし、こことは別にインターネットで、具体的にアドバイスができる機関も必要だと感じている。さまざまな状況の家庭があるなかで、保護者に相談できない子どもたちもいる。すべてではないが、祖父母などと生活している場合では、相談相手が相談内容を把握することが難しい場合が多い。こういったケースだけではないが、保護者や学校、地域などがフォローできない状況のとき、子どもたちが気楽に相談できる場があり、それは電話だけでなく、メール相談のほうが、今の子どもたちを見れば、さらに相談しやすくなると感じている。
 そして、その相談を受ける中で、現在の施策や事業、教育ではその相談内容を解決できない事例があった場合、それは新たな政策提言にもつながっていく。

 【6】ルール設定は言うまでもない。中学生になるまでに携帯電話を買い与える保護者が増えてきたが、料金の指摘やインターネット上のマイナス情報だけを伝えるだけでも、まだまだインターネットがもたらすマイナス面は是正されない。子どもたちが自ら料金を払っていくまでに、ゲームやテレビを見る時間と同様、利用時間を制限させる必要がある。放置しておけば、チャットや掲示板、オンラインゲームなどにどっぷりとはまりこんでしまい、時間を忘れて遊び続けてしまう。深夜二時や三時にようやく時間に気づき、就寝し、朝七時に起きて学校に行く。わずか四、五時間の就寝時間で勉強が身になるはずもなく、学校では「あ〜ねむたい。早く学校おわらへんかな」となって、学校が終わり家に帰ると同じことを繰り返す。学力低下や体力低下、また睡眠不足によって生活習慣が乱れ、キレやすくなるといった側面もある。保護者が子どもの携帯電話料金を支払っているときにこそ徹底したルールを設定し、例えば二一時になったら電源を切って預けさせるなど、一つ一つの取り組みを積み重ねていくことが大切である。

 【7】フィルタリングソフトも早くから言われている。特に携帯電話会社からの提供は義務化されてきた。しかし、これにたよりすぎても問題は解決されない。さまざまなハード面での規制策は、ハード面で乗り越えられてしまう、つまりフィルタリングソフトをかいくぐる方法が、どうやらネット上で流されているというのである。現実の子どもたちなどに、おとなが語りかけていくことほど、地道ではあるが的確で効果的な取り組みはないということである。しかし、時には「めんどくさい」で片付けられてしまうケースもある。
 またフィリタリングソフトの導入については、今後はフィルタリングが標準装備にもなってくるであろうが、それをはずすということが問題になってくるかもしれない。保護者の了承がなければ、そういったサービスをはずすことができないしくみも求められる。最も効果的なのは、技術面よりも、さまざまな場での教育実践であると私は考えており、技術面のみの対策は、再びおとなの怠慢を引き起こすのではないかと感じている部分もある。

 【8】企業の社会的責任を徹底させるしくみづくりも求められる。今、私が最も有効な啓発につながると感じているのはこれである。携帯電話を製造し、それにインターネット接続機能をつけ、店舗で販売し、利用させているのは企業である。しかし、その企業は今現在、国内で統一したインターネットの危険な側面を啓発するような冊子もパンフもチラシも作成されていない。確かにこれら企業はインターネットを開発したわけではないし、ネット上で有害情報を発信しているわけではない。しかし、そういった情報が氾濫している世界に接続できる道具を指摘なしに市民に提供していることに問題があると私は感じている。
国内大手の携帯電話会社の三社が同時進行で、携帯電話購入窓口のすべてに啓発パンフ等を置き、携帯電話を購入しにきた人々に、ネット上には危険な側面があるということを、料金プランの説明と同時に説明していく責任があると考えている。こういった取り組みは非常に効果的で携帯電話を購入しにきた保護者や子どもに的確に伝えることができると感じている。

 大手三社は売り上げ競争をしているようなので、一つの会社で取り組んでもらうというは無理だろう。よって三社同時でこれらに取り組んでもらえるシステムが求められる。企業への評価も新しい機種や新しい機能から、いかに市民の安全・安心に力を注いでいるのかという側面で競争され、それを市民が評価していくということも、一つのしくみになるのではないか。

 ネット上のいじめ問題だけから見えてきたものではないが、私の学生時代と比較しても複雑な家庭事情を抱えさせられている子どもたちは本当に増えた。間違いなく社会の動向に比例しており、行財政が悪化している今日、さらに問題は複雑化すると感じている。
当たり前の話であるが、私は母子家庭や父子家庭だから問題が生じるとは一切考えていない。両親が居ようが居まいが関係がない。子どもたちがその教育面や環境下に置かれて、どういった思いを持っているのかが私の中での基準である。

 家庭事情を複雑だと捉えて生活している子どもたちの多くは、「こういった思いは自分にしかわからない」「なぜ自分だけこんなに辛い思いをしなければならないのか」と考えている。家に帰れば常に不安・苦しみ・悲しみ・寂しさ・悔しさが襲うのである。これを学校などの日常で共有しあえる関係にない場合、クラスで人気があり、常に明るく振る舞う生徒に対して、ねたみなどといった負の感情が生じてくる。「私はこんなに苦しい思いをしているのに、あの子はなぜあんなにも明るく人気があるのか」という思いが歪みはじめ、今ではそういった感情がネット上での中傷につながることも少なくない。
 学校・地域・行政の家庭に対する支えが必要である一方、子どもにとってはそういったことを日常で共有しあえる関係が求められる。子どもがその子の抱える家庭事情を解決できるのではなく、同じような思いを持った子が身近に必ずいるということを認識させ、自分だけの問題ではないという孤独感からの解放と、家庭での負の面を凌駕できるほどの学校での友人の温もりが、その子を支えていくことにつながる。こういった取り組みが私個人としては望ましい。

同情は差別につながるという指摘もあり、私もそう思うものの、今の時代、同情すらなくなってきているのも見てきた。
おとなは日常で「表情が見えて、ともに笑う、ともに泣く、ともに助け合い、ともに行動できる」友人が、自分の人生でいかにして大切であるかを知っており、自分の存在がいかに尊いものかを知っている。インターネットという道具を通じてでないと友人との関係性を築けない子どもたちに、おとなは自らの経験の酸いも甘いも伝えることによって、誰でも失敗はするという安心感と、豊かな関係性がいかによいものかを子どもたちに態度でしめしていくことができる。

ここで記載してきた内容について的確な解決方法を提起できているとは思っていない。私が感じ、私が見てきたほんの一部の事例であるが、しっかりとおとなが議論するなかで、さまざまな取り組みを実践し、その成果と課題を検証しあい、解決に向かっていくことが大切ではないだろうか。

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